岡山県立美術館 国吉康雄について

国吉康雄(くによしやすお:1889-1953)は、米国で活躍した日本人の美術家です。主に油彩画を描きましたが、リトグラフなどの版画や、写真も手がけました。国吉康雄は、現在の岡山市出石町に生まれました。当館からほど近く、後楽園に向かってかかる橋(鶴見橋)の手前を左に入ったところが生誕地になります。(この地には現在、金谷哲郎氏による記念碑が建てられています。)国吉は、まだ二十歳にもならぬ若い頃に渡米しました。当時は岡山県からも多くの人が米国に移民していた時代でした。そして様々な職業に就く傍らで、やがて美術に興味を示すようになります。いくつかの美術学校で学んだのち、1920年代から活発に作品を発表し始めました。茶色を基調としながら、平面的で幻想的な画面のなかに、人物や動物が素朴な表情で描かれるその作風は、当時から注目を集めました(図1)。

やがて二度にわたる渡欧を経て、国吉はより写実的な作風に転じます。伏目がちで翳りのある表情を見せる、名もなき女性たちを描いた一連の作品は、この時期の国吉の代表的な作品ですが、女性をただ美しいだけの存在として描くのではなく、社会の周縁でたくましく生きる存在として描いています(図2、図3)。

国吉は一度だけ、病気の父親を見舞うために、米国から岡山まで帰省しています。その時に国吉のリトグラフの展覧会も開かれました。しかしその後の国吉は、米国で活動を続けることを選択し、二度と日本に戻ることはありませんでした。

米国内での国吉に対する評価は定着するものの、やがて米国と日本との関係が悪化し、太平洋戦争が起こるに及んで、国吉は「敵性外国人」として辛い日々を送らざるを得ませんでした。祖国日本と、自らの現在の立脚点である米国との間で、引き裂かれるような気持ちであったことでしょう。この時期に描かれた、不安定な構図の静物画(図4)や、地平線を遠くに望みながら、眼前には荒れ地が広がる風景画(図5)からは、このような国吉の心情が伝わってきます。

戦後は、アメリカ美術を紹介する代表的な美術館であるホイットニー美術館で、現存作家として最初の個展を開催するなど、国吉は当時の米国を代表する画家として認められるようになりました。この時期の国吉の作品を見ると、もぎ取られて逆さに突き刺さった木馬(図6)、仮面や道化師(図7)、あるいは日本を連想させる鯉のぼり(図8)といった、意味ありげなモチーフが絡まりあうなど、複雑にしてニュアンスに富んだ画面となっています。そこには、戦後の大国アメリカに、日本をルーツにもつ自らが生きることに対する、様々な思いが込められているとも言えるでしょう。国吉は、いずれは米国の市民権を得るつもりでしたが、実現を見ることなく死去しました。

現在、国吉の作品は、日米両国の各地の美術館で見ることができます。当館でも4点の油彩画をはじめとする作品を所蔵していますが、2003年4月より、福武總一郎氏から、絵画・版画・写真および関連資料あわせて570点からなる「福武コレクション」のご寄託を受けることになりました。これらの作品および関連資料は、当館の所蔵品とともに常設展示室で順次ご紹介しており、他館には見られない特色となっています。

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(図版キャプション)

図1 《カーテンを引く子供》 1922 当館蔵
図2 《もの思う女》 1935 福武コレクション
図3 《夜明けが来る 1944 当館蔵
図4 《逆さのテーブルとマスク》 1940 福武コレクション
図5 《風景(コロラド)》 1941 福武コレクション
図6 《祭りは終わった》 1947 当館蔵
図7 《ミスター・エース》 1952 福武コレクション
図8 《鯉のぼり》 1950 福武コレクション

すべての図版について、所蔵者の許可なく転載することを禁じます。

カーテンを引く子供

図1

もの思う女

図2

夜明けが来る

図3

逆さのテーブルとマスク

図4

風景(コロラド)

図5

祭りは終わった

図6

ミスター・エース

図7

鯉のぼり

図8